島でしかできない経験がある。劣等感をいだいてあきらめた夢を、島の会社で叶える中池さん

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島でしかできない経験がある。劣等感をいだいてあきらめた夢を、島の会社で叶える中池さん

奄美大島出身の中池勇成さん。ライブハウスの運営やイベント企画、音響照明機材レンタル、島おこしを事業とするアーマイナープロジェクト(以下、アーマイナー)で働いています。奄美大島出身で、一度は音楽の道を目指しましたが、やりたい仕事に就くまでは長い年月がかかりました。

島で誰とも顔を合わせないように生きてきた中池さんが、再び夢と向き合うようになったきっかけとは。東京と島での仕事や生活の違いについてお聞きしました。

劣等感を抱き、あきらめた夢

ー もともと奄美大島出身と聞きました。いつ島を出たのですか?

高校を卒業するまで島にいました。音楽の道を志し、東京の音楽の専門学校に通い、レコーディングエンジニア科で勉強していました。島を出るときは「やっと島を出られる」と思いスカッとしましたね。大きなところにいって、いろんな経験をしようと思っていました。

ー それからずっと音楽の道を進んできたのですか?

いえ、途中で挫折しました。周りの人たちがすごかった。向き合い方が全然違ったんです。周りと比べてしまい、劣等感を抱いていました。結局音楽の道には進まず、派遣社員としてパチンコ屋に7ヶ月くらい働いていました。

ー 奄美大島にはいつ戻ってきたのですか?

今から6年前、21歳のときでした。派遣の仕事はしていましたが、生活はボロボロ。お金がなくて水道を止められて、近くの公園で水を汲んできてやり過ごすような日々。部屋にネズミが出てもなんとも思わないくらいでした。見かねた親が東京に来て、無理やり連れて帰られたんです。でも、島に戻ってきてしまった自分を恥ずかしく思い、誰とも顔を合わせないようにパチンコ屋で5年間アルバイトをしていました。

友人の言葉で仕事の向き合い方が変わった

ー なぜアーマイナープロジェクトに就職しようと思ったんですか?

友人からの言葉がきっかけでした。友だちと仕事の話をしているときのことです。当時、ぼくはパチンコ屋で働いていることを恥ずかしく思っていました。そしたら友人に「お前は仕事をなめるな」と言われて。仕事の向き合い方を考え直しましたね。

ちょうど同じころ、東京でレコーディングエンジニアの仕事をしている友人が「東京でレコーディングしてみないか」と誘ってくれたんです。友人がいきいきとレコーディングをしている姿を見て「すごいな」と思いました。ぼくももう一度夢に向き合ってみたいなと思い、アーマイナーに就職しようと決めました。

今のような話を代表の麓さんにしたら、その場で採用していただきました。

ー 実際に働いてみてどうですか?

就職して最初の現場が大浜海浜公園で夏に開催される大浜サマーフェスティバルでした。やることが多く、とにかく忙しかったです。今までずっとパチンコ屋だったので屋内の仕事でしたが、屋外で設営をして「こういうところから始まるのか」と感じました。設営して、音響をして、片付けて。なかなかの肉体労働で過酷でした。でも「すごく頼られている会社なんだ」と思いました。

12月くらいだったか、精神的に追い詰められてやめたいと思ったことがありました。でも、ライブをしたアーティストの方から「ありがとう」と言われると「やって良かったな」と思いました。今もまだ、怒られはしますけど、自分たちが島のイベントを支えている実感があり、責任感を感じています。

どんな仕事が振ってくるか分からないスリルが興奮する

ー 今はどんな業務を任されていますか?

イベントでの音響をしています。セッティングからオペレートまで。あとは機材のレンタル、CD販売、ポスターの依頼を受けてディレクション、チケット制作、イベントを立ち上げるところから担当することもあります。

ー いろんなことを任されているんですね。

アーマイナーは、現在4人在籍しています。現場にひとりで行くこともあります。パチンコ屋で働いているときは、時間もやることも決まっていたので安定していました。今は、なにが振ってくるか分かりません。トラブルは全部自分で対応しないといけない。たとえば、アーティストがギターのシールドを持っていなかったらどうするか、カセットテープを再生できる機材は必要か。うちにある機材にも限りはあるので、あらゆる場面を想定しています。

他の仕事では味わえないスリル感があるなと思います。恐いけど、興奮していると感じるようになりました。それに、会社の看板を背負っている責任感もある。相手の希望にどうやったら応えられるかが、自分の殻を破るための挑戦だと感じています。

ー 東京と島では生活のリズムもちがいますか?

ちがいます。東京はせかせかしていました。新聞奨学生をしながら学校に通っていたので、朝の2時に起きて新聞配達をして、学校に行って途中で授業を抜けて新聞配達をするような生活をしていました。それに比べれば島はゆったりしています。島のパチンコ屋で働いていたときは物足りなく感じることもありました。一時期、アーマイナーに勤めながら新聞配達をしていたこともありましたが、さすがに体力がもたず辞めました。

ー まだ26歳。島だと刺激が足りないと思うことはないですか?

東京に行きたい気持ちはありますが、年に一度の楽しみにしています。この会社の刺激が強すぎるんです。自分のやりたかったことですし、年に一度東京の友だちに会ってお互いの仕事の話をすることが楽しみです。やっと同じ音楽の仕事ができていると感じられるのがモチベーションになっています。

それに、普通ならこんなに仕事を任されないと思います。今の会社は「はい、やれ」でやらせてもらえます。この経験がほかとは違う。先日、あるイベントでは駐車場のライン引きをしていました。「音響の仕事なのに、こんなことしてるのおもしろいな」と思いながら。でも、やってみることでほかの仕事の大変さも身に染みて分かる。いろんな人の力が集まってイベントができていることを実感できます。

いろんな仕事を経験して見えた世界

ー 以前感じていた劣等感は、今もありますか?

今は感じていません。島が素敵だなと感じています。こんなに素晴らしいところに住んでいるんだと思えるようになった。自分が経験が活きて、もっといろんな人に知ってもらいたいと思います。

アーマイナープロジェクトでは、いい経験をさせてもらっていると感じます。今まで遅れを取っていたので、近づくためにはいろんな経験をするしかない。おかげで、今までは音響しか興味がなかったですが、照明の仕事もおもしろいと感じました。いろんな世界を見ることができたことが良かったです。

ー これからやりたいことはありますか?

この島を盛り上げていきたいです。ボランティアでもいいので、小さな集落に行って音響面でサポートするのが夢です。

 

逃げるように島に帰ってきた中池さん。友人の支えがあって仕事や夢に再び向き合うことができました。島で就職し、さまざまな業務を任され、世界が広がった中池さんの言葉からは、強い自信が感じられました。島でしかできない経験がある。音響にしか興味がなかった中池さんが、島おこしをする会社でどう成長していくのか楽しみです。