彼女の引っ越しがきっかけで奄美大島に来島した小室達真さん。YouTubeで『いもーれ奄美探検隊たつま』を運営するYouTuberとしても知られています。はじめはすぐに帰るつもりが、気がついたら住み始めて5年。そこまで居着いてしまった奄美大島の魅力はなんなのか。仕事の見つけ方や転職の方法、島の給与事情についてお話を聞きました。
空港を降りた瞬間「住もう」と感じた
初めて奄美大島に来たのは、彼女が奄美大島に転勤になり、引っ越しの手伝いに来たときでした。衝撃でしたね。快晴の空と青い海があまりにもきれいで。思い描いていた南国!見た瞬間に「住もう」と思いました。引っ越しの手伝いは一週間の予定でしたが、気づいたら5年住んでいます。
当時のぼくは、22歳。新卒一年目でした。東京でベンチャー企業に就職したのですが、入社して早々に「明日から大阪に行け!」と。転勤して大阪で社会人生活を始めたのですが、慣れない場所での新生活。頼れる親戚も友達もいなくて、1ヶ月も経たないうちに鬱っぽくなってしまいました。
そんな中、彼女がゴールデンウィーク中に奄美大島に行くことになったんです。こっちの気なんか知らないで、海の前で楽しそうにしている写真が送られてきて。それを見てたら「なんで自分、こんなことやってるんだろう」と情けなくなり、不意に涙が出てきました。結局、仕事は4ヶ月で辞めてしまいました。
7月に辞めて、引っ越しの手伝いに来たのが8月でした。手伝いが終わったら東京で転職しようと思っていたので、ちょっと旅行するくらいの荷物しか持ってきていませんでした。でも、島が気に入って帰りたくなくなっちゃって。親に「もうちょっと奄美にいるから服送って」と連絡しました。
正直、連絡したときはドキドキしてました。意気揚々と大阪に行ったのに3ヶ月で辞めて、奄美に遊びに来ている。めちゃくちゃ怒られると思っていたんです。でも、意外にも全然怒られなかった。すぐに荷物を送ってくれました。
そのとき初めて知ったのですが、母方のおばあちゃんが沖永良部出身だったそうです。「あんたは島が合ってるかもね」と納得してくれました。今思うと、それも島に住む後押しになったのだと思います。
島の仕事はストレスなく居心地良かった
それから彼女の家で一緒に住むことになったのですが、9月は仕事はせず、まさにヒモ男。車もないし、ずっと名瀬の街を散歩していました。仕事を探し出したのは10月くらいからだったかな。島の求人情報サイトを見て探して、楽器屋に応募しました。吹奏楽をやっていたので楽器や音楽は好きだったし、音楽教室や島唄のことも学べそうだったのでいいかな、と思って。簡単な面接をしただけで、11月から働き出しました。
基本的な仕事内容は、楽器販売です。店頭に立って楽器や楽譜、CDの販売をしたり、音楽教室の申し込みの対応をしたり。あとはピアノを運んだり島唄のイベントの運営をしたり、商店街のお祭りのスタッフをしたり。いい経験でした。島唄に携わる人と知り合いになれたし、交流の幅が広がったと思います。島の仕事は、駄菓子屋のおばちゃんのような感じだと思います。お客さんと他愛もない会話をすることが多かった。東京で接客していたら絶対しない会話をお客さんとして盛り上がることもありました。ストレスなくお客さんと会話できたので、居心地良かったですね。
楽器屋でのアルバイトは3年続けました。でも、時給が810円。高校時代に東京でしていたバイトの時給が870円より低かった。彼女の家に一緒に住んでいたので生活できていましたが、ひとりでは暮らせる給料ではなかったです。居心地は良くて楽だけど、そろそろステップアップしないといけないなと感じていたところ、たまたま知り合いが勤めている薬局を紹介してもらって転職することになりました。
社長へプレゼンをして給料が上がった
薬局では、医療事務をしています。患者さんに薬を渡して説明するのは、薬剤師しかできません。逆に言えば、薬剤師しかできないこと以外はおおむねやっています。処方箋をもらって薬の準備をしたり、薬局運営の事務作業をしたり。
正直、最初はつらかったです。いきなりバリバリ働くところに転職したのですから。確かに給料は1.5倍くらいになりましたが、それまでの時間に比べて勤務時間は2倍。試用期間で有給もない。慣れない仕事に心理的ストレスもあって、辞めたいと思っていました。
幸い、社長との距離は近かったので直接プレゼンをしたんです。「移住者にとって、この給与では割に合わないですよ」と。島の企業はどこも人手不足。条件が移住者のニーズに合っていないと思ったんです。たとえば子育てだと、育休の制度は一応ありましたが、取得率は低かった。なぜか聞いてみると、働いている人の規則の認識と、上層部の認識にギャップがあったんです。そういうことがいろいろあった。すり合わせをして、少しずつ職場環境が改善されたと思います。
そうしていくうちに、社長から頼られることが増えて、給料が上がりました。今は、ストレスはありません。仕事にも慣れたし、給与も増えたのでハッピーです。以前はお金がなくてカフェで一杯のコーヒー頼むことも躊躇していましたが、今はそんなことない。島の給与は確かに最初低いけど、自分の取り組み方次第で上がるんだと思いました。
減点方式ではなく加点方式で考えれば楽しめる
今、住み始めて5年経ちましたが、やっぱり奄美はいいですね。休みの日に晴れてたら「海行こう!」と思ってすぐ海に行ける。東京にいたら、海に行くなんて一大イベントじゃないですか。奄美だったら15分くらいチャプチャプしてすぐ帰る。なんてぜいたくな時間の使い方なんだ!と思いますね。
生活していて不自由なところもありません。名瀬はスーパーがたくさんあるし、Amazonもすぐ届く。生活に困ることはないです。ただ、人によるんだろうなと思います。マクドナルドやスターバックスなど、慣れ親しんだチェーン店はないので。あれもない、これもない、と減点方式で考えると住めないと思います。種類は少なくても「ある」と考えられると、楽しめるんじゃないでしょうか。
結婚式で「移住したい」と言わせたい
奄美に住み始めてから、YouTubeもはじめました。最初はゲームが好きなのでゲーム実況動画を投稿していたのですが、リアクションがなくてつまらなかった。あるとき、奄美での休みの日の様子をホームビデオ感覚で投稿したらたくさんリアクションがあったんです。これは楽しい!と思って、今は奄美の紹介動画を投稿しています。いろんなところに遊びに行きながらできるし、いろんな人とつながれる。YouTuberって可能性があるなと感じました。
今は、YouTubeの登録者数は2050人。Instagramはフォロワーが4000人になりました。全然知らない人から奄美のことを聞かれることが増えたし、島のイベントに参加していても動画を知ってくれている人と会うことが増えました。思っていた以上にみんな身近に感じてくれているし、まだまだ可能性はあると感じています。このまま非公式の観光大使になれたら嬉しいですね。
来年、結婚式をするんですが、どうせなら島でやりたいと思っています。これまで培った人脈をつかって、奄美大島のことをプレゼンしたい。YouTubeやInstagramなどデジタルで発信していますが、やっぱりデジタルでは伝わらないものがある。ぼくが空港から降りてビビッときた感じを、みんなにも味わってもらいたいです。まずは結婚式で、人を巻き込んで一大ツアーができたらいいな。「移住したい」と言わせたら勝ちですね!